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フィリピン武術 フジ・アーニス・クラブ

カリの由来ORIGIN OF KALI

名称の起源

16世紀前半、フェルディナンド・マゼランの航海に同行しフィリピン諸島を探検したアントニオ・ピガフェタは、その航海記にセブ島の原住民の言葉を記録していますが、その中に短刀を意味するcalix (カリス)という言葉が収録されています。

フィリピン大学の人類学教授、フェリペ・ホカノはスペイン統治時代の文献を調査した結果、このカリスという言葉は短刀そのものを意味するだけでなく、刀を操る技術をも意味したと述べています。日本で「剣の達人」といえば「剣術」の達人を意味したのと同じで、フィリピンでも「カリスに秀でている」といえば「刀を操る技術」に秀でていることを意味しました。またホカノによれば、カリス(kalis)の末尾の「s」が脱落して「カリ」と記述された文献もいくつか見られるそうです。

しかしながらこの「カリ」という言葉がフィリピンにおいて武術の名称として使用されたことは一度もなく、スペイン式剣術に由来するフィリピンの武術は、今に至るまで常に「エスクリマ」や「アーニス」と呼ばれて来ました。

MgaKarunungan sa Larong Arnisの写真
Mga Karunungan sa Larong Arnis  

「カリ」という言葉が武術の名称として初めて文献のなかに現れたのは比較的最近のことで、1957年にプラシド・ヤンバオが出版した世界初のアーニスの教本、”Mga Karunungan sa Larong Arnis”(アーニス競技の知識)のなかでのことでした。ヤンバオはこの著書のなかでフィリピン各地に伝わる武術の名称を比較したうえで、フィリピンにはスペイン人到来以前に「カリ」と呼ばれる武術があったことを主張しました。

しかしヤンバオは優れたエスクリマドール(アーニスの使い手)ではありましたが歴史についは素人だったため、彼の著書には歴史的な記述に誤りか数多く見られ、各地に伝わる武術の名称についても、ネッド・ネパンギなどの現地語を理解する研究者からその誤りが指摘されています。

フィリピン武術研究家のマーク・ワイリーが指摘するように、どうやらヤンバオの頭のなかには最初から「カリ」という名の想像上の武術があり、それに合わせて地方語の辞書からそれに類する言葉を集めたというのが事実だと思われます。

ヤンバオが著書で紹介した
フィリピン各地の武術の名称
民族 名称
タガログ パナナンダタ
イパナグ パグカリカリ
パガシナン カリロンガン
ビサヤ カリラドゥマン
イロンゴ パガラドゥマン
イロカノ ディジャヤ
カバロアン
     

伝説の創作

「カリ」という言葉をを初めてフィリピン武術の名称として使用したのはフローロ・ビリャビリェだと思われます。セブのバンタヤン島出身で1930年代にハワイに渡ったフローロは、アメリカでアーニスを伝えた第一世代に当たりますが、彼は未知の武術をアメリカで伝えるにあたり自分の武術や経歴に箔をつけるめにひとつの伝説を創作しました。その伝説をまとめると以下のようになります。

  1. フィリピン南部のモロ(イスラム教徒)には古くから「カリ」と呼ばれる武術が伝わっており、アーニスやエスクリマ、シカラン、シラット、クンタオ、カリラドゥマン、パグカリカリなどのフィリピンの武術はすべてカリから分かれたものである。(マザー・アート説)
  2. フローロはフィリピン各地を巡り武術の修行をし、サマール島のグンダリで盲目のイスラムの王女・ジョゼフィーナからカリを学んだ。
  3. カリという言葉はビサヤ語の”KAMOT”(手)と”LIHOK”(動き)の頭文字をとった複合語である。
マドリデホスの写真
マドリデホス要塞

1 についていえば、シラットやクンタオ(拳道)はマレー文化圏に起源を持つ武術であり、ミンダナオやスールーのモロには古くから伝わっていますが、フィリピンが発祥の武術ではありません。またシカランはルソン島のバラスが発祥の競技であり、モロの武術とは何の関係もありません。 カリラドゥマン、パグカリカリについては先に述べたようにヤンバオの創作であり、実在の武術ではありません。

2 についていえば、スペイン統治時代にフィリピンの北部と中部ではイスラム教は徹底的に弾圧されたため、フローロの時代にサマール島にイスラムの王権が残っているはずはなく、当然、盲目の王女などいるはずがありません。

3 についていえば、モロの地域に起源を持つ武術ならばその名称はマギンダナオ語やタウスグ語などのモロの言葉であるはずであり、モロの敵であるビサヤ人の言葉であるはずがありません。(フローロの「カリ」は、名称だけでなくその技術用語までほとんどがビサヤ語かスペイン語です。)

東洋の武術では自分の流派に威厳や神秘性を持たせるために神話や伝説などを利用することが多くありますが、フローロも自分の武術の起源を、侵略者であるスペインと闘い続け、一度も屈することのなかった勇猛果敢なモロの武術、「カリ」にあるとすることで威厳や神秘性を保とうとしたのでしょう。

伝説の普及とともにアメリカで「カリ」の伝承者としての地位を確立したフローロですが、彼がフィリピンで実際に学んだ武術は故郷のバンタヤン島に伝わるギヌンティン・スタイルの「アーニス」でした。

セブの最北端に位置するバンタヤン(監視)島は、その名が示す通り島全体がモロの海賊を監視するための監視施設(バンタヤン・サ・ハリ)であり、島の最北端のマドリデホスにはスペイン軍の要塞が築かれ、スペイン軍が常駐していました。フローロがアメリカで伝えた「モロの武術」の正体は、皮肉なことに、そこでスペイン人が現地人に伝えた「モロの海賊と闘うための武術」なのでした。

「カリ」の普及

アメリカにおけるフィリピン武術の第一人者、ダン・イノサントは、1970年代初頭、初めてフローロと会ったときにフローロから、「エスクリマやアーニスはスペインの言葉だ、これからはカリという言葉を使え。これこそが正しい呼び名だ。」といわれたそうです。それまでイノサントは自分が学んだフィリピン武術を、自分の師が呼ぶとおりに「エスクリマ」や「アーニス」と呼んでいたのですが、フローロと会ってからは「カリ」という言葉を使うようになったことをさまざまな場所で語っています。

フローロの創作した伝説は、イノサントをはじめとするアメリカに住む多くのフィリピン系の若者の心をとらえたようで、このころからアメリカのフィリピン武術家のなかには、フローロの創作を利用して、名称を「エスクリマ」や「アーニス」から「カリ」に変える者も出てきたそうです。

THE FILIPINO MARTIAL ARTSの写真
THE FILIPINO MARTIAL ARTS  

そして1980年にダン・イノサントが、後にベストセラーとなった名著、”THE FILIPINO MARTIAL ARTS”を出版し、本のなかでフローロの創作した伝説を紹介すると、多くのアメリカ人が「分派の『アーニス』や『エスクリマ』でなくマザー・アートの『カリ』を教えてほしい」とフィリピン人の武術家たちに頼むようになりました。

フィリピンの武術家たちは、フローロのいう「カリ」がアーニスやエスクリマにすぎないことを知っていましたが、名称にこだわることなくアメリカ人に「カリ」を教えました。またこのときに多くの武術家が、道場運営の利便性を考えて名称を「アーニス」や「エスクリマ」から「カリ」に変えてアメリカ人に指導したため、アメリカで「カリ」がフィリピン武術の名称として一般化していきました。

人々の間で伝統的だと思われているものが、実は近代になって人工的に創り出されたものであるということはよくあることですが、「カリ」もそのひとつの例だといえます。「カリ」はフィリピン南部のモロに古くから伝わる武術などではなく、1970年代ごろからアメリカで使われるようになったアーニスの新しい呼び名なのでした。